あらまし
AI にとっての世界とは、その AI が読めるデータの全体のことです。読めるデータの外側は、その AI には最初から存在しません。このコラムは、その世界をたった一人の人間の活動のデータだけで作って動かしてみて、そこで考えたことを書いたものです。一人分のデータは世界の全体からすればごくわずかですが、そのデータを読んで次を作る循環はいまも実際に回っています。データを受け取って考えてきた人間の役割は、この先どこへ動くのか。この小さな試みから、その問いまでを順に書いています。
対象読者と持ち帰れるもの
AI と一緒に何かを作っていて、自分がその AI に何を供給しているのか問い直したくなった人に向けたコラムです。いま自分が渡しているものは、いつまで自分にしか渡せないのか。その先で人間の役割はどこへ移るのか。答えを一つに決める話ではありませんが、追い越される側に回った人間の役割について一つの捉え方を持ち帰っていただけます。日々 AI と開発している人が、自分の立ち位置を考え直す手がかりになればと思って書きました。
では、AI にとっての世界とは具体的に何を指すのか。人間が目や耳から入る情報で世界を組み立てるように、AI は与えられたデータで世界を組み立てる。読めるデータの外側は、AI にとって最初から存在しない。だから、どんなデータを渡すかで、その AI にとっての世界の広さと形が決まってしまう。
このサイトの AI にとっての世界は、たった一人の人間、僕の活動のデータだけでできている。僕が日々やっていること、書いたもの、直したもの、迷ったこと。それがこのサイトの AI にとっての世界のすべてになる。世界と呼ぶにはあまりに小さい。世界の総体からすれば、一人分のデータなどごくわずかだ。
この仕組みは、もう回り始めている。僕がこのサイトで日々ためている書いた記事やどの指摘を採ってどれを退けたかという判断の記録から、このサイトの AI は次のものを作る。質問に答えるのも次の記事の題材を選ぶのも、その一人分のデータを読んで行う。世界と呼ぶには小さいが、一人分のデータを世界として読んでそこから次を作る循環は、たしかに動いている。
でも、僕が引っかかったのは規模の話ではなかった。規模は小さくても原理は同じなんじゃないか、ということだった。
世界という大きなデータの流れの中で、AI が自分で課題を見つけ、やりたいことを決め、作っていく。もしそういう日が来るとして、その活動の形を分解すると、流れてくるデータを眺め、その中から何かを見つけ、手を動かすというループになる。このループの形は、入ってくるデータが一人分でも世界の全部でも変わらない。違うのは流れの量と幅であって、活動の型ではない。だとすれば、いま僕が一人分のデータでやっていることは、大きな流れの中の同じ活動を小さくしたものだということになる。規模によらず同じことを、いま実際に具体化し始めている。そう思ってしまった。
そう考えたとたん、人間の役割の置き場所がずれて見えるようになった。
これまで僕は、データを消費する側にいた。世界から情報を受け取り、それをもとに考え、答えを出す。僕がやってきた、その速く質の高い答えを出すという仕事は、まさにその速さと質で AI に追いつかれていった。では、追い越された側は何をするのか。僕の見立てはこうだ。消費する側ではなく、AI が読む世界そのものを作る側、つまりデータを作る側に回るのだと思う。
ここには、正直、割り切れなさもある。供給する側という役割ですら、型として渡せる部分はいずれ AI へ手渡していくことになる。僕がやってきた、課題を見つけて方向を決めるという仕事も、そのやり方をデータとして残せば AI がなぞれるようになる。手渡せるものを手渡していった果てに、僕の手元に残るのは、まだ AI が読んでいない世界を新しく差し出す役だけかもしれない。
それを後退だと思うかは、捉え方しだいだと思っている。まだ誰も、どの AI も読んでいないデータを世界に足すというのは、消費される側から見れば、みんなが読むデータのいちばん元を作るということでもある。AI がどれだけ賢くなっても、読むものが無ければ動けない。その読むものを作るというのは、少なくともいまの僕には、乏しい役割には見えない。
答えが出ている話ではない。データを作る側に回った人間が、その先で何を感じ、何に価値を置くのか、僕はまだ知らない。ただ、その問いをこれから自分の目で確かめられる場所に立てたことは、悪くないと思っている。