自分の習慣と価値観をAIに伝える

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この記事の目次

あらまし

AIエージェントは、セッションが終わるとそれまでに受けた指摘を忘れるので、書き方や判断の癖について、人間の側が同じ指摘を何度も繰り返すことになります。このサイトは、その繰り返しをやめるために、僕の指摘を運用のルールの文書へ規律として書き足し、次のセッションのAIがそのルールに従って働く、という仕組みで運営しています。この記事では、この仕組みを回した直近二日間の運用記録を実際に数えて、自分の習慣と価値観をAIのどこへどう書くと定着し、その結果として何が生まれるのかを書きます。

数えた結果を先に置きます。僕の指摘は、指示の記録という文書に日付つきの節として残っています。2026年7月10日と11日の二日間の節を、この記事を書き始めた時点で数えると48節ありました。そのうち文章の書き方に関する指摘は、書き方の規律を一箇所に集めた文体のスキルというファイルへ17回のコミットで書き足され、そのファイルには同じ時点で、僕の発言がそのままの言葉で11箇所、日付つきの引用として残っていました。規律は書かれて終わりではなく、公開前の検査の観点になりました。公開前の検査のうち、文脈を読まないと判定できないものはAIに任せていて、この役を判定役と呼んでいます。検索の戦略を扱った公開済みの記事を書き直したときは、この判定役が直すべき箇所を6件捕まえ、全件が修正されています。面白いのは、僕の指摘が規律になり、その規律が公開前の検査になり、検査が次の記事の直しを捕まえるまでが、指摘を出したその日のうちに一度回りきったことです。

教えたとおりに定着しない失敗もありました。読みやすく書くという価値観を教えたとき、AIはそれを、読点の数と一文の長さの上限という数値に翻訳して規律へ足したのですが、その数値に合わせた書き直しは、文章を切りすぎて単調になりました。読みやすさを数値に翻訳したら、かえって読みにくくなったのです。僕はこのやり方そのものをアンチパターンだと指摘し、数値の上限は捨てて、音読と構造で読む審査に置き換えました。

前に書いた記事「分野も作りも違う二つの開発が、AIへの指摘の定着先を同じ三層へ切り分けていた」では、一つの指摘をどの層に置くかの基準を扱いました。この記事はその続きにあたり、伝える営みの全体、つまり何を教え、どこに定着し、何が生まれたかまでを扱う回です。購読で読める本文は、まず指摘が消えるという前提と、指摘を記録から規律へ運ぶ流れを、二日間の実数で示すところから始めます。次に、教える中身を価値観の原則、書き方の規則、判定の物差し、越えてはいけない線の四つに分け、それぞれ定着する場所が違うことを実例で書きます。書いた規律は検査になって初めて働くので、判定役が捕まえた指摘の内訳でそれを確かめ、数値の上限という失敗から得た教え方の学びと、定着そのものはまだ測れていないという断りまで書いて、この伝える作業から何が生まれたかで締めくくります。

対象読者と持ち帰れるもの

コーディングでも文章でも、AIエージェントに自分のやり方で働いてほしいのに、毎回同じ指示を繰り返している人に向けた記事です。指摘をその場の修正で終わらせず、規律へ書き足す流れを持ち帰れます。教える中身が価値観か手順かで、教え方と置き場所をどう変えるかも書きます。規律はAIが読んで初めて働くので、規律を検査へつなげて、読まれるかどうかに頼らない形へ持っていく方法まで扱います。この記事は、このサイト自身の運用記録に基づく実践の記録です。

その日のあらすじ

2026年7月10日と11日の二日間の、このサイト自身の運用記録を扱いました。書き始めの時点の数えで、指示の記録に僕の指摘が48節残り、うち文章の書き方に関する指摘が文体のスキルへ17回のコミットで反映されました。反映された規律は、公開前の判定役の観点と、機械で検査する禁止パターンになり、公開済みの記事の書き直しに適用されました。素材は、指示の記録と、gitのコミット履歴と、運用データの監査記録と、公開済み記事の公開前検査の記録です。

指摘を記録から規律へ運ぶ

同じ指摘を繰り返さないために、このサイトの運用では指摘の通り道を決めています。僕が指摘を出すと、それはまず日付つきの指示の記録に残ります。次に、その指摘が明日のセッションや他の記事にも効く汎用のものなら、その日のうちに運用のルールの文書か文体のスキルへ、規律として書き足されます。この書き足しを、この運用では焼き込むと呼んでいます。焼き込むときは僕の言葉を日付つきの引用で添えて、規律の出どころを後から引けるようにします。最後に、その規律で直せる公開済みの記事があれば、その場で直されます。

この通り道が二日間でどれだけ使われたかを同じ時点で数えると、指示の記録に残った僕の指摘は、7月10日が32節、11日が16節の計48節でした。文体のスキルに入ったコミットは、10日が7回、11日が10回の計17回です。焼き込みと記事の修正が一つのコミットで同時に行われた例も多く、たとえば、行間を読ませるな、目的を想像させる単語を書くな、という11日の僕の指摘は、その日のうちに、含みのある比喩で済ませず具体の言葉で言い直すという規律になり、その同じコミットで、回答を機械で評価する仕組みを扱った公開済み記事の、無料で読める部分の7段落と有料の本文の16箇所が、具体の言葉へ書き直されました。何の数字か、何の費用かを勝手に省略するな、という指摘も、対象を取る名詞には初出で必ず何のものかを添える、という形で規律へ入り、その足で検索の戦略を扱った記事を頭から通して直すところまで進んでいます。

人間は目覚ましで起きて、身についた習慣と価値観に従い、世界の変化を見て働きます。僕はこの運用を目覚ましのたとえで考えていて、AIにとっては、スケジュールが目覚ましで、ルールの文書に焼き込まれた規律が習慣と価値観で、僕の開発活動のデータの差分が世界の変化に当たります。だから、習慣と価値観の側をどれだけ言葉にして書き溜められるかが、この仕組みの中身そのものになります。

教える中身で置き場所が変わる

前の記事では、指摘の定着先を、毎セッション読まれるルールの文書と、固定した手順をまとめたスキルと、判断の履歴を残すメモリの三層に切り分けました。二日間の指摘を焼き込んでいくと、今度は教える中身の側にも種類があって、種類ごとに収まる場所が違うことが見えてきました。

一つめは価値観、つまり判断の向きを決める原則です。わかりやすい言葉で足りないことはない、内容は高度でも文章はとにかく平易に、という僕の指摘は、個別の書き方の規則ではなく、規則群の上に立つ最上位の原則として、文体のスキルの読みやすさの節の冒頭に置かれました。難しい語を選びたくなったら、それは考えがまだ言葉にほどけていない合図であって、直すべきは語彙ではなく説明の方だ、という判断の向きごと教えます。

二つめは習慣、つまり実際に文章を書くときの規則です。書き出しは背景と前提の共有から入ること、数字や費用のような対象を取る名詞には初出で必ず何のものかを添えること、主語と目的語を省略しすぎないこと、略語を括弧で導入してよいのはその略語を後の文で実際に使うときだけであること。こうした規則は、読みやすさの原則という一つの節に、17項目として並びました。

三つめは判定の物差しです。個別の語の禁止を列挙する代わりに、迷ったときに自分で判定できる基準を教えます。難しい語を使ってよいかは、その語を同僚との会話で口にするかで判定します。この物差しが入ると、傍証を裏づけに、蓋然性を見込みに、寄与するを効くに開くという既に列挙された置き換えを超えて、まだ列挙されていない語にも同じ判定が効きます。記事が薄くないかは、実践した人にしか書けない具体を取り除いたら何も残らないか、で判定するという物差しも同じ形です。

四つめは越えてはいけない線です。実践の具体が無いそれっぽいだけの文章は僕の名義では絶対に出せない、という宣言は、書き方の規律の一項目には収まらず、公開そのものの不合格条件として、公開前の安全ゲートに焼き込まれました。線だけは、公開を止める力を持つ場所に置きます。

原則は読みやすさの節の冒頭へ、規則は項目へ、物差しは判定の基準へ、線は公開ゲートへ、と分かれて収まりました。同じ教えるという作業でも、教える中身によって、定着する場所はこれだけ違います。

規律は検査になって初めて働く

規律を文書に書いただけでは、AIがそれを読むかどうかに定着が依存します。前の記事で書いたとおり、読まれることへの依存は弱点なので、規律は書くのと同時に検査へ変換します。文体のスキルの末尾には、判定役に渡す観点が8つ並び、機械で検査するのは、語とパターンの禁止の4項目だけに絞られています。

この検査が働いた記録が残っています。7月11日に検索の戦略を扱った記事を一本の文章の形へ書き直したとき、読みやすさの規律で検査する判定役は、使われない略語の導入を2件、名詞句の連結を1件、目的語の省略を1件、述語まで待たせる長い列挙を1件、硬い語を1件の、計6件を捕まえ、全件が修正されました。どれも、焼き込まれたばかりの規律です。指摘が規律になり、規律が検査になり、検査が次の直しを捕まえるという往復が、一日の中で閉じたことになります。

この記事自身も、その検査の下にあります。17項目の読みやすさの原則と判定の物差しに沿って書かれ、公開の前に同じ判定役の検査を通ります。

数値に翻訳された価値観

うまくいった話だけではありません。読みやすく書くという価値観を教えたとき、AIはそれを、読点は1文に何個まで、1文は何字までという数値の上限に翻訳して規律へ足し、その数値で記事を測る検査まで作りました。検査としては動いていて、書き方の見本として先に選んだ記事2本を読みやすさと事実の二つの検査に通し、指摘3件を直した記録も残っています。ですが、数値の上限に合わせた書き直しは文章を切りすぎていて、僕は、自分はこんなに文章を切らない、読点や文章量を静的な数値で示すのはアンチパターンだ、と指摘しました。構造が平易で前から読めるなら、長い文章の方が一気に読みやすいからです。数値の上限と数値の検査はその日のうちに廃止され、音読と構造で読む審査に置き換わりました。

この失敗が教えてくれたのは、機械の検査に落としてよい範囲の線引きです。白黒が機械的につく語とパターンの禁止だけを機械の検査に落とし、価値観は、最上位の原則と判定の物差しという、判断の余地を残した形で持たせます。この線引き自体が、二日間の往復で焼き込まれた規律の一つになっています。

定着したかどうかを測る物差しは、まだありません。前の記事でも、同種の指摘の再発が減ったかは測れていないと書きましたが、それはいまも同じです。いま数えられるのは、焼き込んだ規律の数と、検査が捕まえた指摘の件数までで、同じ指摘を僕が二度出す回数が減ったのかは、まだ数えられていません。規律が守られたかどうかを運用の記録で測る話は、次に書く仕事の起案として積んであります。

伝える作業から生まれたもの

この二日間の伝える作業の結果として、この記事を書き始めた時点で手元にあったのは、僕の発言がそのままの言葉で11箇所引用として残る文体のスキルと、それを検査に変えた判定役の8つの観点と、その規律で書き直された公開済みの記事群でした。このサイトで公開済みの記事は、この記事の前までに無料4本、有料4本、購読の特典1本の計9本で、この記事は、二日間で焼き込まれた規律の検査を通る10本目として出ます。

人間は目覚ましで起きて、習慣と価値観に従って働きます。AIに同じ形で働いてもらうには、習慣と価値観を言葉にして、置き場所を決めて、検査に変えるところまでやる必要がありました。身についた習慣と価値観をAIに伝える作業と、その結果としてどんなコンテンツが生まれていくか。僕はこれが、この仕組みの最初のおもしろい取り組みかもしれないと思っています。自分のデータが更新されるだけでAIがコンテンツを作っていく世界に本当に価値があるのかを知るのは、正直怖くもあるのですが、研究者なので、ひとつの回答を作ってみたいと思っています。